「里山(さとやま)」という言葉を、耳にしたことがある方は多いかもしれません。 人が定期的に森に入り、薪を取り、雑木の手入れをすることで、日光が地面まで届き、多様な生き物が豊かに育まれていく。人間が立ち入らない手つかずの原生林とは異なり、「人と自然が共生することで維持される豊かな環境」のことを指します。
では、「里海(さとうみ)」という言葉はいかがでしょうか。
私たちが創業以来、長い歴史を重ねてきた今治の目の前には、穏やかな瀬戸内海が広がっています。 今回は、私たちのものづくりの根底にある「里海」という考え方と、それに向けた私たちの選択についてお話しします。
一、 人の手が関わることで、豊かになる海
「里海」とは、人間が一切関与しない原始の海ではなく、「人が関わり、適切に手を加えることで、生産性と多様性が高まり、豊かさが保たれている沿岸海域」と定義されています。
海は、陸地や河川と深く繋がっています。 山や街から川を通じて流れてくる栄養塩が、海中のプランクトンを育み、それが魚たちの糧となる。昔から瀬戸内の沿岸では、人と自然が密接に関わり合いながら、豊かな海が育まれてきました。
適度に関わり、循環を助けることで、自然そのものの力を引き出す。 それが「里海」という、日本で古くから育まれてきた自然観です。
二、 ものづくりと、水への問いかけ
タオルの産地として知られる今治の発展もまた、この自然の循環と切り離すことはできません。
石鎚山などの四国山地や高縄山系から蒼社川を通じて注ぎ込む清らかな地下水や伏流水。重金属や硬度成分の少ないこの軟水があったからこそ、今治のタオルづくりは糸本来の柔らかさや吸水性を引き出し、長年にわたって人々の暮らしを豊かにしてきました。私たちは今も、この清らかな水の恩恵とともに歩み続けています。
しかし、ものづくりの歴史の中で、私たちは便利さや効率、そして高い機能性を追求してきました。
驚くほどの柔らかさや軽やかさを持つタオルの多くは、製織時の補強として水溶性プラスチック(PVA)を使い、あとから水で溶かし流す手法で作られています。こうした技術や、効率よく不純物を落とすための強い化学薬品を用いた工法は、現代の生活に不可欠な高品質なタオルを安定して届けるための大切な技術革新でした。
一方で、使われた水や成分は、いくら適切な処置を経ているとはいえ、排水の向こう側に広がる海へと繋がっています。
「利便性を求める中で、私たちは海に負担を預けすぎてはいないだろうか」
自分たちがこれまで歩んできた足跡を振り返ったとき、私たちは自分自身にそう問いかけざるを得なくなりました。
三、 「関わらない」のではなく、「調和して関わる」
海を傷つけないもっとも極端な答えは、「ものづくりを一切やめてしまうこと」かもしれません。けれど、私たちはタオルづくりを通じて人の暮らしに寄り添い、日々の営みをより豊かに育み続けたい。
そこで私たちが辿り着いたのが、「里海」という考え方です。
自然から完全に身を引く(何もしない)のではなく、「海が持っている本来の循環や浄化の仕組みを邪魔しない形で、誠実に関わり続けること」。
これこそが、私たちが選ぶべき道だと考えました。
-
水溶性プラスチック(PVA)を使わない選択: 一般的な柔らかいタオルの多くは、水に溶けるプラスチック(PVA)で糸を補強した状態で織られ、後から溶かし去ることでふんわり感を表現しています。私たちは自然界で分解されにくいこの合成ポリマーを流すのではなく、綿糸同士を優しく巻き付ける「カバーリング技術」によって糸の骨格をつくる道を選びました。水の中に余計なものを残さないための選択です。
-
微生物の力を借りる「バイオ精練」の選択: 強アルカリ性の化学薬品で綿を洗い落とすのではなく、自然界に存在する「酵素」の力で汚れを分解する。水資源への負荷を抑え、CO2の排出も低減させながら、綿が持つ本来の健やかさを残す選択です。
これらの選択だけで、海がすぐに劇的に変わるわけではないかもしれません。けれど、ものづくりのプロセスを「里海」の循環の中へそっと戻していくために、私たちが今できることから、一つひとつ重ねていく地道な一歩です。
四、 日常の洗面台から繋がる、静かな循環
「KUSU | the sea」というブランド名は、瀬戸内の豊かな里海への感謝と、未来への約束から名付けられました。
私たちがつくるタオルを、皆さんが日々の暮らしの中で使う。 お風呂上がりや朝の洗顔のとき、ふんわりとしたタオルに顔を埋める。
その何気ない日常の背後で、製造の段階から海へ余計な負担をあらかじめ預けていないタオルを選ぶ。 特別な環境運動をするわけではなく、ただ上質なタオルを愛用することが、そのまま海の健やかさを守る小さな一歩になっている。そんな状態をつくることが、私たちの理想です。
完璧な答えを出すことは簡単ではありません。 しかし、私たちはこれからも「里海」の凪のような穏やかさとともに、100年後の未来へ向けて、一つひとつの選択を重ねていきたいと考えています。
Technical & Environmental Reference
-
「里海(SATOUMI)」の学術的定義と環境生態学的価値 「里海」とは、沿岸海域において人為的な帯留・攪拌・手入れ(資源管理や環境保全活動)が適度に加わることで、生物多様性と物質循環の効率(一次生産力)が高次安定した状態を指します(Yanagi, 1998等による環境生態学上の定義)。本稿は、産業活動を排他的一極集中で捉えるのではなく、自然代謝系への整合的介在(Ecological Footprintの最小化)を目指す人間活動の理念として適用しています。
-
水溶性合成ポリマー(PVA)および精練プロセスの環境負荷相関 伝統的な繊維精練プロセス(高濃度 $NaOH$ による加水分解処理)は、高い化学的酸素要求量(COD)および高アルカリ性廃液を発生させます。これに対し、生物学的触媒(酵素)を用いた「バイオ精練」は、水質汚濁指標(BOD/COD負荷)の抑制および加熱水エネルギー削減に伴う二酸化炭素( $CO_2$ )排出削減を達成します。また、PVAフリー(非水溶性合成高分子)プロセスは、水圏生態系における難分解性有機物の累積リスクを未然に遮断するための preventive approach(予防的アプローチ)として位置付けられます。